やっぱり最後には笑っていたい

母と私のこと、私の病気のこと、日常生活のなんてことないことも書いていきます。

うつ病は目に見えないから辛くないとでも?

ふざけないで。

確かにがんと同じように数値化はできないのはわかっています。

うつ状態が辛くて寝込んでいてもただ寝ているだけと言われる現実。

ご飯も食べることができず、お風呂に入ることもできず、そんな姿を見ていてもただ寝ているだけと?

できるものならうつ病も数値化してほしいです。

がんにはがんの、うつ病にはうつ病の辛さしんどさがあるんだよ。

がんになったことを都合よく免罪符にしないで。


爆発しそう

やはり母は自分さえ良ければいいんですね。

今まさに母の言動がそれを示しています。

イライラと悔しさと後はもう何が何だかわからない感情でいっぱいで泣き叫んで暴れてしまいそうです。

時効にしたい

前々回のブログで母がいい方向に変わったことを書きましたが、一時的なものでした。

自分の体調が良ければ私が苦しんでいても無関心。

主治医に、はなからわからないで済ませるのはいけないと言われた病気のこと、うつ状態が酷い時の対応の仕方など吐き捨てるように『わからない。』と何度も何度も言ってきます。

過換気発作を起こして手も顔も痺れ、自力で薬が飲めないうえ、話すことができなくて、言葉にならない言葉で精一杯定位置にある薬を飲ませてほしいと訴えた時も『何言ってるかわからないわ。』と吐かれたことも何度あったことか。

こんな現状なんですし、私はもう母に自分で自分のこと全てしてほしいです。

退院前に送られてきた『これから助けてね。』メール、できるものなら本物に時効にしたいです。

私、一生あのメールで苦しまなきゃいけなくなる。

でも時効にできてたらこんなに苦しんでないです。

私の性格のせいです。

もう何もかも終わりにしたいです。


負のスパイラル

どうして母は退院前に私だけに『これから色々と手伝ってほしいことが増えると思う。助けてね。』なんてメールをしてきたのでしょうか?

母は母なりに不安でいっぱいだったことは想像ができますが、私は未だこのメールの呪縛が解けないまま苦しんでいます。

私の持病のこれからについて母と主治医と3人で話をした時に母は『自分のことで精一杯です。』と言い切った割に遊びに行くのに、出かけるのに必死です。

楽しみで心あらずなのがよく伝わってきます。

私の話なんて耳に入ってないんだろうなぁ、くらいに。

私もうつ状態が続くと家事も協力できずでしたが、社会復帰も後回し、友達と遊ぶのも本当に本当に控えてできる限り母ファーストを貫いてきたつもりです。

私が母にそうしたからといって母にも私ファーストを求めてはいけないのはわかっています。

だけどあまりに母の『自分のことで精一杯』はなんだったんだろうと虚しくなります。

孤独で世界中でひとりぼっちになったような気さえします。

そして、母ファーストを貫いてきたつもりだから母も私ファーストでいてねとどこかで見返りを求めていた自分に気付き、吐き気がします。

自分が最低な人間だとも思えてなりません。

私自身、昨日メンタル面の不調に加え、身体的な不調も重なり不安で不安で仕方ありませんでした。

でも母は朝も早くから遊びに出かけ、私の話なんて聞いてもらえる状態ではありませんでした。

不安が重なったところに母の言動に次第にイライラし出し、結局私の晩ご飯は買ってきたお弁当でした。

母にとって気分転換なのはわかります。

でも理解できません。

朝早くから夕方遅くまで、因縁の父と二人きりの時間もあり、これも相当のストレスでした。

父が仕事に出て行って、自分の部屋にこもって

『社会復帰して一人暮らしの孤独』

『実家に住んで家族には放置される孤独』。

どちらが自分にとってしんどくない、辛くないのかそんなことが頭の中でぐるぐるしていました。

でも答えは出ています。

ただ踏み出せない私の勇気の無さ…。

もう絶望しかなくて涙も出ません。

親友に相談したいけど重いと取り合ってもらえなかったらまた絶望しなきゃいけない。

それだったら誰にも吐き出さない方がいい。

ここ数ヶ月、そのスタンスでやってきました。

正直、重いテーマでも受け入れてもらえるなら吐き出したいですよ。

でも以前、ちょっとこんなことがあったとLINEをしたら『どう返事をすれば…』と返ってきたことがあってそれ以来私は吐き出せなくなりました。

その返事を受け取って以来若干人間不信にも陥っています。

ここでもそうなんですよね。

私はどんな重いテーマでもLINEや電話がきたら自分のしたいことの時間を割いて誠心誠意対応してきたつもりです。

だから今度私が困っていたら力を、知恵を貸してもらいたかった。

やっぱり私は見返りを求めているんですね。

自分が嫌で嫌で仕方がありません。

私はもっとたくさんの美しい景色、楽しい景色を瞬きをするのも惜しいほど見たかった。

楽しい時間をあの方たちと共有したかった。

私はもう母からのメールを時効にしていいですか?

自分で判断することもできないくらいボロボロです。

でも秋に母の定期検査と受診があります。

がんの告知からずっと一緒に付き添ってきました。

これは今さら他の誰かに付き添ってもらってねとはいきません。

今までの経過を把握してもらうのにこちらも余計なエネルギーを要しますから。

なんだか闇が深いだけの更新になってしまって、読まれて嫌な思いをされた方がいらっしゃったらすみません。

ただここに書いたのは私の抱えている感情の一部。

もうここまでにします。



母が変わった

1ヶ月近く前になりますが、私があまりにうつ状態がひどいうえに、食事もほとんど摂れていなかった為、1人で歩けず母に私の受診に付き添ってもらいました。

待合室から診察室までも一緒に入ってもらわなければいけないくらいだったので成り行きで母も同席して診察となりました。

そこで主治医を挟んでお互いの本音をぶつけ合うこととなり、また、私の考えも母の考えも主治医に否定されました。

その時は感情的になって私は主治医に反論してしまいましたが、今は主治医の否定も消化でき、母もいい方向に変わりました。

私の感情、病気がわからなくても寄り添ってくれたりします。

それだけで救われています。

母と一緒にファンをしてる人の番組で好きなワンシーンがあって、もう笑えない辛すぎるとなった時も私はそのワンシーンを見てると自然と笑えるんですね。

それを母も知っていて、先日物凄く悲しく悔しいことがありそれで泣いてしまった時に、『落ち着いたら録画してあるのを一緒に見よう。』と声をかけてくれて。

逆に嬉しくて涙でした。

母がこう変わってくれたんだから私も少しでもいい調子が続くように治して、母をまた以前のように支えられるように努力をして変わらなきゃと思わされました。

やはりそうは言ってもお互いわかり合えない時はまだまだたくさんあります。

母以外の家族とは相変わらず関係は最悪です。

母に依存はしてはいけませんがやはり頼らせてくれる時は頼って自分自身しっかりしたいと今は思っています。

雨音

いつぶりなのか全くわからないのですが、今日は雨音が心地よいです。

深い意味はあるかもしれないし、ないかもしれない。

ただ1つ言えることは言葉は薬にもなり凶器にもなる。

すこーしだけ心が穏やかな気がします。

母の無理解

前回のブログで母の小さな裏切りを母に話し、母は黙って聞いていた、と書きました。

話が全て終わったあと、母は『ごめんね、これからは気をつける。』と言ってくれたのですが、その翌日(日にちで言うと昨日になりますね)『これからは気をつける。』発言はなんだったんだという言葉を投げかけられました。

あまりに病気に対して無理解で無神経な発言で私は感情がコントロールできなくなり泣き叫んでしまいました。

母は必死になだめて謝っていましたが、謝ってくるのも『どうせまたこれからも繰り返すんでしょ。』と受け入れられませんでした。

今日は少し気持ちも立て直すことができていますが、またどん底まで落ちてしまう日がいつ襲ってくるのだろうかと生きていて恐怖しかありません。