やっぱり最後には笑っていたい

母と私のこと、私の病気のこと、日常生活のなんてことないことも書いていきます。

母が変わった

1ヶ月近く前になりますが、私があまりにうつ状態がひどいうえに、食事もほとんど摂れていなかった為、1人で歩けず母に私の受診に付き添ってもらいました。

待合室から診察室までも一緒に入ってもらわなければいけないくらいだったので成り行きで母も同席して診察となりました。

そこで主治医を挟んでお互いの本音をぶつけ合うこととなり、また、私の考えも母の考えも主治医に否定されました。

その時は感情的になって私は主治医に反論してしまいましたが、今は主治医の否定も消化でき、母もいい方向に変わりました。

私の感情、病気がわからなくても寄り添ってくれたりします。

それだけで救われています。

母と一緒にファンをしてる人の番組で好きなワンシーンがあって、もう笑えない辛すぎるとなった時も私はそのワンシーンを見てると自然と笑えるんですね。

それを母も知っていて、先日物凄く悲しく悔しいことがありそれで泣いてしまった時に、『落ち着いたら録画してあるのを一緒に見よう。』と声をかけてくれて。

逆に嬉しくて涙でした。

母がこう変わってくれたんだから私も少しでもいい調子が続くように治して、母をまた以前のように支えられるように努力をして変わらなきゃと思わされました。

やはりそうは言ってもお互いわかり合えない時はまだまだたくさんあります。

母以外の家族とは相変わらず関係は最悪です。

母に依存はしてはいけませんがやはり頼らせてくれる時は頼って自分自身しっかりしたいと今は思っています。

雨音

いつぶりなのか全くわからないのですが、今日は雨音が心地よいです。

深い意味はあるかもしれないし、ないかもしれない。

ただ1つ言えることは言葉は薬にもなり凶器にもなる。

すこーしだけ心が穏やかな気がします。

母の無理解

前回のブログで母の小さな裏切りを母に話し、母は黙って聞いていた、と書きました。

話が全て終わったあと、母は『ごめんね、これからは気をつける。』と言ってくれたのですが、その翌日(日にちで言うと昨日になりますね)『これからは気をつける。』発言はなんだったんだという言葉を投げかけられました。

あまりに病気に対して無理解で無神経な発言で私は感情がコントロールできなくなり泣き叫んでしまいました。

母は必死になだめて謝っていましたが、謝ってくるのも『どうせまたこれからも繰り返すんでしょ。』と受け入れられませんでした。

今日は少し気持ちも立て直すことができていますが、またどん底まで落ちてしまう日がいつ襲ってくるのだろうかと生きていて恐怖しかありません。


とめどなく流れる涙

月曜日、受診してきました。

相変わらず父から精神的苦痛を受けていること、母ががんになって家族がバラバラになり、誰も母の病気を理解しようとしないこと、そして母からの小さな裏切りの積み重ね…

ここには書ききれないほどのことを主治医に話しました。

もう以前から家族と物理的に距離を置くしかないと言われていますが、私が家族と物理的に距離を置くことに不安がたくさんあり決断できずにいます。

このことを全て母に話しました。

私は小さい頃からずっと家族のことが大好きでした。

自慢の家族でした。

それが今はどうしようもないくらいに大嫌いで、それも悲しいです。

母は黙って私の話を聞いていました。

もう話をして何時間も経つのに涙が止まりません。

私が置かれている現実…こんなに辛いことはありません。

晩ご飯も食べられませんでした。

母のがんをきっかけに死生観が変わり、何があっても生き抜こうと思えるようになったのに、あまりに辛すぎてもう生きることを放棄したいです。

バチが当たった

前回のブログ、あんなこと書いたからバチが当たったんでしょうね。

肺炎とわかり寝込んでいます。

2ヶ月ほど前にも肺炎になっているのに。

永遠に

朝なんて来なくていい。
今夜眠ったら永遠に…それでいい。
家族にそれだけのことをされてるんだから。

イライラ

大事にしてるのと甘やかしてるのは全く違う。

勘違いしないでほしい。